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ファンタスティックヒストリー 超島原幻闘録 ~柳生十兵衛地獄変~ 第3章 - 9

2018.06.04(13:47) 37

 千本松原と富士を望む最高に爽やかな朝、元気に沼津を出立。
 「旅行けば 駿河の国の 茶の香り」此処は田子の浦の「原」。三厳は山部赤人を思い出していた。「田子の浦に うち出でて見れば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ」是は新古今和歌集で万葉集には「田子の浦ゆ うち出でて見れば 真白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りける」と書かれているらしい。
 この辺りは後の1808年、尾張藩侍医、柴田景浩(しばたかげひろ)が江戸に向かう途中、余りの景色の綺麗さに立円寺(りゅうえんじ)に滞在し「望嶽碑(ぼうがくひ)」なる物を建てたとされる。
 よく「ヤブ医者」等と云う言葉を使うが本来「立派な医者」の意味で兵庫県の「養父(やぶ)地区」に天下の名医が多く居ると評判に成った時期が有ったが余りの評判の良さに「養父から来た医者」と大嘘をつく者が続出。医者を名乗る為の「資格」も何も無かった当時は誰でも簡単に医者を名乗れて、泡銭(あぶくせん)を稼ぐと云った者も居て評判が落ち「養父医者」が逆の意味に成ったのである。
 後の平賀源内も医者「も」名乗って居た人でそれ以外にも発明等いろいろな事をして居り有名なのは発電機「エレキテル」であるが特許制度も著作権制度も無かった当時、仕組みが知れ渡る様に成り、「模造品」が続出。鉱山開発にも失敗、文無しと成り、挙句の果ては事も有ろうに医者でありながら酒の上のいざこざで他人を殺め、獄中で死亡と云った人生。
 吉原に到着。有名な和田川。1180年、兵力に勝る平家が水鳥の羽音に驚き、源氏側と戦わずして逃げ帰ったと云う場所。富士川合戦の地は今現在の富士川河原ではなく和田川沿いの沼地一帯であった。「驕(おご)る平家は久しからず…か」静かな流れを見て未だ不安定な幕府を憂い「汚れ仕事は柳生の宿命…」と呟く。徳川への恨みのは柳生が引き受ける決意である。実際幕権強化の為に数多(あまた)の大名が柳生の讒言に取り潰された。三厳もその末路が地元にて変死体で見付かって居る。誰でも一寸先は闇なのである。
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ガオの部屋(よろず研究)


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コメント
『ヤブ医者』という言葉は、よく聞きますねw
てっきり『藪』か『破れ』の字から来てるのかと思ったら、関西に『養父』という地方があるんですねぇ・・・

『平賀源内』は、時代劇でもよく登場しますね^^
『影の軍団』にも、『必殺仕事人』にも出ました^^
悪戯好きで、人物画の顔の部分を透かし絵にして、裏から赤い紙を当てて「酔っぱらった!」とか言って驚かせたとかw
【2018/06/04 19:04】 | ロベルタ中尉@ジオン公国 #1X66VL8I | [edit]
麿中尉様w。今回もお便り誠に感謝です!<(_ _)>しかし平賀源内が「仕事人」に出て居たとは知りませんでしたw!中村主水が吉良上野介を仕留め損ねた赤穂浪士に変わって仕留めるって云う内容の「仕事人」は見た事有るのですけどw。「仕事人」の曲を作った平尾昌晃氏もびっくりで…。@ω@w
【2018/06/04 22:49】 | ☆西郷隆盛☆ #- | [edit]
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