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ファンタスティックヒストリー 超島原幻闘録 ~柳生十兵衛地獄変~ 第2章 - 6

 徳川家康、幼名竹千代は松平広忠と水野忠政の娘お大との間の子である。早速3歳の時に水野忠政死去、その子信元が水野を相続すると織田方に付いてしまったのでやむを得ず今川方の下で三河領主に成れて居る松平広忠はお大と離縁。お大はその後、兄信元の指図通り織田配下の久松俊勝(ひさまつとしかつ)の所に嫁ぐ。
 それだけでは無く又しても一族の中から広忠の叔父である三木松平信孝(みつきまつだいらのぶたか)や殆ど織田の手先と化して居た松平三右衛門忠倫(まつだいらさんえもんただとも)、酒井忠尚(さかいただなお)と云った者共が何時、広忠に叛旗を挙げても可笑しくない状態。信孝と言えば先に述べた桜井松平信定が宗家乗っ取りを企てた際に幼い広忠つまり仙千代を擁して岡崎復帰の為に活躍したあの叔父がである。つまり織田に魂を叩き売った…。当然広忠は今川に助力を請う。条件にと6歳に成った息子竹千代つまり家康を今川義元に人質として差し出す様にと言われそうするしか他に無かった。
 駿府へ向かおうと準備をする竹千代一行。そこへ広忠がお大と離縁をしてからの後妻の父親で竹千代にして見れば義母の父、義理の外祖父である戸田宗光なる男が船で駿府へ連れて行こうかと申し出て来て言われた通りにした所…実は織田に内通して居た宗光とその子政直は織田方の方向尾張熱田方面に向かう。織田信秀は100貫文で竹千代を買い取った。そう言う訳で広忠の所に織田方の使者が誘いを入れるも広忠はやむを得ず断って諦め、今川義元への服従を誓う。家康は幼くして実母と生き別れ人質に出される筈が100貫文で叩き売られ更に実の父親からも見捨てられると云う謂れも無く現実の不条理と行った辛酸を舐めさせられる苦労人であった。後の嫌われ者、石田三成如きと比べれば三成は苦労等した事は無い。自業自得、秀吉入滅後は元の茶坊主に戻れば殺されなかったのである。
 こう成った以上本来、たちどころに残虐な殺され方をされるのが当時の普通で在りながら織田家での人質生活と来たら何故か随分な厚遇を受ける。万松寺に8歳迄預けられるけど今川の安祥城攻略で今川は「織田信広」を有して居り人質交換で竹千代は一旦岡崎城へ。しかし今度は人質生活の間に父広忠が下郎の岩松八弥(いわまつはちや)に殺られて居り今川義元は「竹千代に岡崎を与える」と称して幼いのを良い事に竹千代の後見をすると言い出し竹千代は成人迄駿府預かり、松平の所領を今川の属領に。そんな訳で「竹千代成人迄、取り敢えず」岡崎には城代と代官が派遣され年貢は今川に取られ松平譜代の臣の中にも餓死に及ぶ者迄が出て来る程の扱いで駿府の竹千代も織田方に比べれば良い扱いは受けて居ない。
 駿府で竹千代は14歳で元服して松平次郎三郎元信(まつだいらじろうさぶろうもとのぶ)を名乗る。16歳で今川一門の関口刑部大輔親永(せきぐちぎょうぶだゆうちかなが)の娘、義元の姪、築山御前と結婚。名を松平蔵人元康(まつだいらくらんどもとやす)に変える。築山は徳川信康の実母であるが正直年上と云う事も有ってきつい性格で家康を見下して居り織田信長に武田内通の疑いが掛けられた際に家康の指図で殺されて居る。
 17歳で初陣鮮烈デビュー、19歳で大高城兵糧入れ、桶狭間の戦いで義元横死。
 少しだけ義元の子氏真の出方を伺って織田を相手取って居たが弔い合戦をしようともしない呆れた男と判ると清洲同盟であろう事か今度は織田とつるんでしまう。
 三河平定後、今度は三河一向一揆に手を焼いたがやっとの事で鎮圧すると苗字を徳川に。その後、武田と結んで遠江攻略に成功。信長上洛に付いて行き越前金ヶ崎攻略、姉川に浅井、朝倉を破る。今度は武田が突然上洛に当たって三河を通って行くと言うので三方ヶ原の戦いで大敗。京を目前に武田信玄が死ぬと武田勝頼を長篠に破る。次に織田信長に武田内通の疑いを掛けられ築山を、続いて将来を嘱望されて居た長男信康を切腹に追い込まれる。1582年に本能寺の変、臣君伊賀越え、その後信長の遺児信雄を擁し羽柴秀吉を相手取り小牧、長久手で対等に渡り合い和睦に。秀吉の北条攻略後、考え無しの関東への国替えを命ぜられ面従腹背是を快諾。朝鮮出兵後秀吉が死ぬと鳥居元忠を石田三成に生贄として差し出し是を口実に関ヶ原に三成を破る。1602年実母お大、戒名伝通院他界。明けて1603年家康は征夷大将軍に。子秀忠の娘千姫、豊臣秀頼に嫁ぐ。家康は将軍職を子の徳川秀忠に譲り二条城にて豊臣秀頼に臣下の礼を取らせる。方広寺鍾銘事件を口実に大坂冬、夏の陣で豊臣を破ったのが1615年。武家諸法度と禁中並公家諸法度を制定。翌1616年家康没。一旦久能山に葬られ翌1617年に日光に改葬される。
 家康の辞世の句は2つ。「嬉しやと 再び覚めて 一眠り 浮世の夢は 暁の空」、「先に行き 後に残るも 同じ事 連れて行かぬを 別れとぞ思う」
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フォンケル准尉@ジオン公国
(2018/05/02)


竹千代の人質時代は、よくドラマでも扱われますね^^
年長者であった吉法師は、幼い竹千代よく可愛がったとか・・・
もちろん織田・徳川両家の損得勘定もあるんだろうけれども、こうした幼少期の絆が、清州同盟締結の一員なのかも知れませんね?

ところがその後、信長の厳命によって、妻・築山殿と、最愛の嫡男・信康を処分せざるを得なくなってしまう・・・
夫婦仲の悪い築山殿(当然、今川の娘だから、居ても都合が悪い)だったらともかく、最愛の信康を殺してしまったのは、一生の悔いが残るでしょうね><
もしも『本能寺の変』が、『家康陰謀説』が真実だとしたら、信長への怨みは、この時に生じてしまったのかも知れません・・・
幼少から仲の良かった二人が決裂、信長を一方的に怨むことに・・・(信長は『俺様』的な性格だから、家康が自分に忠実である物と、思っている)。
その信長に、調子のいい事ばかりほざいてのし上がってきた秀吉は、やはり家康にとっては相容れない存在だったんでしょうねぇ・・・
果たして『本能寺の変』は、光秀による『足利幕府再興説』、秀吉による『野心陰謀説』、家康による『怨恨陰謀説』の、どれが真実なんでしょうねぇ・・・

☆西郷隆盛☆
(2018/05/02)


こんばんはw。今回も御覧下さって誠に有難う御座います。流石、御理解が深いです。まさしくその通り。大河オリンピックの次の大河光秀「麒麟が来る」が楽しみに成って参りました。←気が早くてw。悪い意味で期待を裏切らない様にw!「個人的怨恨説」とかだったら…受信料は止める!!いや止めたい…。いや勘弁して欲しい…。(T_T)w「敵はNHKに有り」って言わせなければ良いw。確かに御呈示の3つ、どれも納得ですのでねw。ただw、最新の研究結果は「本能寺にていくら探しても信長の死体が無かった、濃姫は逃げた」、と言う事は事実なのです。どう描かれるか楽しみですw。^^

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ガオ

Author:ガオ
 宮崎の者で御座います。
 個人的に調査をした事を発表して居りますブログです。
 令和3年7月です。22日は海の日、23日スポーツの日から東京オリンピックが始まる予定です。
 引き続き健康第一!マスクにうがい、手洗いをどうか、宜しくお願い申し上げます。<(_ _)>

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