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ファンタスティックヒストリー 超島原幻闘録 ~柳生十兵衛地獄変~ 第2章 - 5

 徳川一族。初めは「松平」を名乗って居たが「徳川」の苗字は先代の住んで居た群馬上野国新田郡世良田郷徳川(ぐんまこうずけのくににったぐんせらだごうとくがわ)と云う地名から、「家康」の名は「家用(も)って平らかに康し」と願って名乗ったのである。「国家安康君臣豊楽」で有名な天魔外道と称される悪徳坊主以心崇伝(いしんすうでん)の入れ知恵である方広寺鍾銘事件の「内府公家康の頭と胴体を安っぽいと言う字で真っ二つにして居る」との言掛かりであるが、蓋を開けて見れば実は、はなっから家康の頭と胴体は繋がって居なかったのである。大久保彦左衛門忠教(おおくぼひこざえもんただたか)は家康の先祖を酒井五郎左衛門の家に上がり込みそこの女に唾を付けた如何様乞食坊主と言う。
 実は家康が源氏の家系と称する様に成るのは幕府開設の前年である1602年、それ迄は「藤原」の流れと称して居たのである。徳川の始祖は清和源氏の嫡流、源義重(みなもとのよししげ)四男得川義季(とくがわよしすえ 当時は「得」川と称す)とされるが代替わりで落ちぶれ徳阿弥の代には流浪の如何様乞食坊主と化し三河「坂井」郷の庄屋「酒井」五郎左衛門の宅に泊めて貰った分際でそこの娘に唾を付け是が孕んで婿と成り息子親清(ちかきよ)を産ませて先立たれ又、金蔓探しに流浪の生活に戻る迄一時的に酒井五郎左衛門宅に居座りその財産を私物化。ど腐れ根性の上に付け上がった此の「疫病神」は今度は三河松平郷の太郎左衛門に憑り付き例に因ってその娘に唾を付けて孕ませ又婿入り。松平太郎左衛門親氏(まつだいらたろうざえもんちかうじ)を名乗る。しかし実在の確認が成されて居るのは孫の松平信光からで加茂氏血統を自称。その後、親忠、長親、信忠、清康、広忠、家康と来て居る。
 家康の祖父で清康の親である信忠はその圧政から家臣団に因り引退に追い込まれ13歳で清康が松平宗家を相続。13にしては出来過ぎた漢で宗家に専横な振る舞いの目立った同族の大草松平信貞(おおくさまつだいらのぶさだ)を岡崎に破り三河を平定。しかしその前に信忠との宗家争いに敗れた桜井松平信定(さくらいまつだいらのぶさだ)が復活を果たさんと大給松平親乗(おぎゅうまつだいらちかのり)、長沢松平康忠(ながさわまつだいらやすただ)、織田信秀、織田信光兄弟を焚き付け宗家の清康を殺処分しようと一計を案ずる。
 清康の三河席捲後の尾張進出の際家臣阿部弥七郎に殺られる森山崩れの現場には信定は仮病を使い来て居らず尾張の織田を相手取るならと清康が出かけた後で織田に呼応し背後から挟撃せんと企て、その上流言飛語で攪乱を計る計略に物の見事に引っ掛かったのが阿部弥七郎だったのである。清康、享年25歳。
 清康の遺児10歳の幼名仙千代の広忠を守る為死兵と化した仙千代の叔父三木松平信孝、鵜殿松平康孝等800程度の兵は岡崎郊外井田野に於いて8000の織田を崩し敗走せしめる。
 だが未だ松平宗家の危機は去っては居ない。外聞も無く事も有ろうに織田に内通して居た筈の見え透いた野望に燃える桜井松平信定が仙千代つまり家康の父に当たる幼い頃の広忠の「後見人」を称して仙千代暗殺、宗家乗っ取りを画策。老臣阿部大蔵は譜代の大久保忠俊(おおくぼただとし)と計って密かに仙千代を連れて岡崎を脱出、伊勢神戸(いせかんべ)の東条持広(とうじょうもちひろ)を頼って忠俊は岡崎に残り大蔵が仙千代を連れて落ち延びる。持広は清康の妹婿、此の持広の所で仙千代は元服、「広」の字を貰って「松平広忠」を名乗る。だが程無く持広が死に養子の東条義安(とうじょうよしやす)が後を相続すると此の男、織田に取り入る為に広忠を引き渡しそうに成ったのでまた脱出、今度は遠江掛塚(とおとうみかけづか)の鍛冶五郎(かじごろう)の家に逃げ込む。そして岡崎を拠点とする三河は東の今川と西の織田に良い様に蹂躙されたので意を決した阿部大蔵は駿河の今川の方に下り三河岡崎の回復に助力を請う。今川は是を機に三河を織田攻略の最前線に属領として使うを条件に三河の茂呂の城を与え助力を快諾。岡崎に残って居た大久保忠俊は桜井松平信定の狼狽振りを見て居り起請文を何枚も書かされるが阿部大蔵と一緒に居る広忠とは離れて居ても「広忠を三河岡崎城主に」と云う一心で信定に面従腹背を決め込み突然信定を相手取る狼煙を上げ信定派の石川兄弟を討伐し広忠を岡崎に引き入れる事に成功している忠義の策士なのである。家康の父、松平広忠、この時12歳。
 1541年正月、松平広忠は16歳で三河国刈屋城主、水野忠政の娘14のお大を娶る。翌年暮れの12月26日「竹千代」と名付けられた後の徳川家康が誕生する。
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フォンケル准尉@ジオン公国
(2018/04/28)


家康は確か、元の名前は『松平元康』でしたね^^
『国家安康』・・・本当に、飛んだ言い掛かりですねw
秀吉の前半生が「善人」として描かれるのに対して、家康は最初っから、あまりいい人としては描かれない事が、多いですよね^^;
最近では『本能寺の変』も、家康が光秀を唆して起こさせたという脚本も、多くなりましたし・・・

それにしても、秀吉だけでは無く、家康も当初『藤原』姓を名乗っておきながら、後に『源』姓を名乗るとか、当時の出自はいい加減ですね^^;
ところであの妖刀『村正』で暗殺されたというのは、祖父清康と父広忠の、どちらでしたっけ?

☆西郷隆盛☆
(2018/04/28)


お世話に成りますw。<(_ _)>そ、それが…、村正なんですけどw、当時三重県桑名の刀工の名前の事で「ザク」みたいに量産された刃物、村正って槍も有ったりするのですw。広く出回って居た別段珍しくも無い刃物だったので多分清康も広忠もどちらもそれで殺られたのではないかとw。(ToT)家康は幼少期から死んだ方が増しな程の「謂れの無い目に」遭わされて来たので世間ズレの性格に成ったのかも知れませんw。それ以前に天魔外道と称された以心崇伝こそ家康を悪者に仕立て上げる「悪知恵」で唆した張本人だそうです。家康も根性が少しは悪い所が有ったかも知れませんが以心崇伝こそ腐れきった根性の漢で宗教政策の筆頭顧問をしてたそうで武家諸法度や禁中並公家諸法度とかの起草に絡んで居ります。そう言えば来年オリンピックの大河ですけど再来年の大河が「麒麟が来る」って云うタイトルの明智光秀が主役の大河に成るそうですねw。本能寺の後、臣君伊賀越えでの反応は早過ぎる位なのに形ばかりの光秀討伐の挙兵に及んだのは実に2週間も経ってからだそうで、仰る通りなのでしょうw。
これからも宜しくお願い申し上げます。

フォンケル准尉@ジオン公国
(2018/04/28)


おぉ!
遂に!!!
光秀公の大河、遂に来ますか!
やったぁ、これは嬉しい!
実は自分、長年、光秀公の大河ドラマ誘致の署名をしてきたので、これは嬉しいです!

http://www.taiga-dorama.com/

これは楽しみですね^^
ただ過去にも光秀公主演の大河ドラマ化が、土壇場になって『軍師官兵衛』になったという経緯もありますし、まだまだ油断はできないですね^^;

実はあの本多忠勝の槍『蜻蛉切』も、村正の流れを汲む槍らしいですね^^

以心崇伝という人は、あの南光坊天海と並ぶ、家康の2大ブレーンと言われた坊主ですねw
坊主は御仏に仕えると言ってる割には、裏では何を考えてるのかわからないので、そこも信長が坊主を嫌った原因の一つなのかも、知れませんね^^;
まぁ、その信長にも、慕っている坊主が居るには居た様ですが・・・(『岐阜城』という城名を考案した人)
天海和尚の方は「実は光秀は生還していて、それが天海和尚に名を変えた」という説も残っていますが、実際の所はどうなんでしょうね^^;

☆西郷隆盛☆
(2018/04/28)


こんばんはw。凄い喜び方w!相当な期待のされ方ですw!是程歴史全般にお詳しいとはw!私は戦時中のEU戦線の事とか無知に等しい…。(T_T)大河初の光秀ですので従来の「怨恨説での謀反」って内容は無しで最新の研究結果を基に「怨恨も含めて」って内容で放送して欲しいですよねw。爆死は勘弁w、前半生を示す資料が存在しないと云う事で幼少期は有り得ずw。実は私、関東に身内が居りましてw、群馬辺り迄観光案内をして貰った事が有りいろは坂とか「明智平」とかに連れて行って貰いました。光秀が天海に成ったのかwって思いを馳せて参りました。私も「麒麟が来る」を期待します。織田信長を慕って居るぼーさんが居たとは知りませんでしたw。死に際の父信秀の回復を願い名僧を集めて祈らせたそうですが死んだので「役立たず!」とぼーさんを鉄砲の的にして生かして帰さなかったと言う逸話が有るそうですw。何でも御存知だ…。@ω@w

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ガオ

Author:ガオ
 宮崎の者で御座います。
 個人的に調査をした事を発表して居りますブログです。
 令和3年7月です。22日は海の日、23日スポーツの日から東京オリンピックが始まる予定です。
 引き続き健康第一!マスクにうがい、手洗いをどうか、宜しくお願い申し上げます。<(_ _)>

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