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ごわすw。

2018 04/26

ファンタスティックヒストリー 超島原幻闘録 ~柳生十兵衛地獄変~ 第2章 - 4

 豊臣秀吉。そも、尾張国中村の百姓出身で木下弥右衛門と「なか」と云う女性との間の子で生まれつき右手の指が何故か6本…。弥右衛門の死後、「なか」は竹阿弥と再婚。その竹阿弥と秀吉とは不仲と成り光明寺に預けられるが直ぐに飛び出し「針」を仕入れて放浪の旅に出る。
 そして秀吉は今川義元配下の松下加兵衛之綱(まつしたかへえゆきつな)の所に仕える様に成る。
 厳密な事を言えばその親である松下長則(まつしたながのり)の所で働いて居たと言うのが正しいらしい。と言うのも未だ長則は現役で之綱は秀吉と同い年だったからである。その覚えはめでたかったがその家臣団の方が面白くなく暇を出され最終的に今川を滅ぼす事に成る織田信長の家臣に。
 因みにその後の松下之綱は今川が滅亡すると徳川に下り天正2年第1次高天神の戦いで籠城するも武田に降伏し長浜城主当時の秀吉に家臣として召し出され山内一豊公記には翌天正2年長篠の戦いの際は秀吉の前備として兵100を預けられたとされる。ただし召し出した時期について「松下文書」に因り天正11年10月6日とされて来たのが通説で、どっちが正しいにしても生き残ったのは確かである。関ケ原の2年前に62歳で死亡。家督は何故か長男の松下暁綱(あきつな)ではなく次男の重綱(しげつな)が継いで、娘のおりんは、あの柳生宗矩に嫁いで居り柳生十兵衛三厳の母親と成って居る。
 此の秀吉なる男、百姓の出で、真面に兵法をやった事こそ無いが天才的な家康に次ぐ「国盗り」能力に特に秀でた者で在った。家康との決定的な違いは兵法と共に「統治」も学んだ家康に対し秀吉は信長の顔色を恐れるが故に忠実で、専ら統治は任せっきりの見様見真似。別段国を預かる家柄でもなかった為、学ぶ必要にも迫られず、本能寺の件で「敵討ち」と称して光秀討伐を行う迄は美談で残るが下手に身の程を弁(わきま)えず黒田官兵衛孝高(くろだかんべえよしたか)に唆され野望を持った為、賤ケ岳の一件の後、表面上信長の事業を受け継いで成し遂げた様に見えるが初めての統治に戸惑い、今度は要領の良かった弟の秀長に依存。その秀長にも先立たれ五大老五奉行と云った始末で必ず他人任せ。
 こう言った話が有る。当時は先代が源氏の流れの者でそれが廃れると次は平氏の流れの者が天下に覇を唱えると云った「源平交代思想」なる物がはびこり、織田はそも平氏の流れで在った斯波氏に仕えて来たがその主家を踏み倒して実力で成り上がった家柄で秀吉は「その事業を引き継いだ家臣」とでも思ったのであろうが「次の政権は本来源氏を名乗る筈」と世間体がそれを認めず政権への悪影響を懸念して武家の頂点として「幕府を開く」と云う事等は無く武家序でに公家をも仕切る「関白」の身分に納まる事に成る。
 本能寺の変後、市は3人の子を連れ柴田勝家に嫁ぎ賤ケ岳騒動で市は勝家と運命を共にし3人の子は一旦秀吉に引き取られ茶々は秀吉との間に子供を儲け、初は京極高次に嫁ぎ、江は忙しく佐治与九郎一成、羽柴秀勝、九条左大臣種通、徳川秀忠と盥回しの運命。
 その後、かの石山本願寺跡地に大坂城を築城、今度の相手は徳川家康。
 序でであるが勝家の所に居た織田信雄が伊勢、尾張を領する清洲城主で在りながら、今度は徳川方に。小牧長久手の一悶着の後、信雄は秀吉と和睦。
 紀伊国の根来衆、雑賀衆を、四国の長曾我部、越中の佐々成政、東北の伊達、関東の北条を平らげ「関白」に就任、「羽柴」から「豊臣」を名乗る様に成る。
 盗る国が無く成ったら「信長も言って居た事だし」と今度は朝鮮出兵。
 そして秀吉は京都に聚楽第を建立。「大仏の 功徳(くどく)も有れや 槍刀(やりかたな) 釘鎹(くぎかすがい)は 子宝恵む」、「末世とは 別にて有らじ 木下の 猿関白を 見るに付けても」と評判の方は余り宜しくない。北野大茶会(きたのだいさのえ)を開催、千利休を殺処分。関白秀次の切腹の2カ月後、豊臣の氏寺、方広寺が完成するも1年足らずで大地震に因り崩壊。
 スペインのサン=フェリペ号漂着をきっかけに「26聖人殺処分」。
 慶長の役2度目の大陸出兵。
 醍醐の花見の直後に秀吉死亡。
 秀吉没後、石田三成は朝鮮出兵に出て居た勢力を引き揚げさせる。
 国盗りの才能は有ったのであろうが家康と違って統治能力が有るとは言えず秀吉は百姓出身、家康は弱小とは言え国を預かる家柄で学ぶ必要に迫られたかそうでないかに因って中央集権体制には変わりは無いが家康は独りで天下統治を抱え込んだのに対して秀吉は何の統治の知識も経験も無く只、信長の顔色を伺い専ら任せっ切りの見様見真似、弟の秀長に依存したりそれに先立たれると五大老五奉行と云った始末で必ず他人任せ。
 更に秀吉は信長に習い派手好きで南蛮交易を初めは推奨せんとして居たが本来南蛮交易とキリスト教は不可分でキリスト教の規制をしながら交易の促進等滅茶苦茶で虫が良過ぎる。普通、税で理想の国家運営を行う為に権力の座を求め天下を目指す物だが国盗りよりも統治の方が厄介で天下統一の後、初めて国盗りの脳は有るが統治能力の無い事に気が付いたのであろう。目上が居なく成り一国を牛耳る立場に在りながら考え無しに感情が表に出て公私混同。あきれた事にキリスト教規制の筈が一夜にして禁教令に変わった理由と云うのが目を付けて居た女を伴天連宣教師連中に邪魔されたからとの事である。
 そんな己自身を皇族の中に「隠し子」と無理矢理位置付け一生「身分」と云う物にコンプレックスを持ち続ける秀吉自身の「統治」とはかくの如き有様だったのである。
 秀吉の辞世の句は「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪花の事も 夢の又夢」
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COMMENT

  • No.41 こんばんは^^

    秀吉の物語は大抵、中盤までは善人の様に描かれますが、後半になると途端に悪人になりますよね^^;
    なるほど、その理由は「出自によるコンプレックス」だけでは無く、「統治能力の無さ」にもあったんですね@@
    確かに秀吉の政治は、信長の死後は、秀長や三成任せだった様に、思えます^^;
    それにしても、秀吉の手の指が6本あったというのも、驚きですね@@

    投稿者:フォンケル准尉@ジオン公国 2018/04/26 (木) 21:24 [ 編集 ]
  • No.42 そうなんですw。^^

    こんばんはw。本日は長く成ってしまいました。そうなんですよ。多くの方が秀吉の「機嫌」で犠牲に成られました。中盤迄は善人で後半は凶暴、気の毒な程の不幸。本当に波乱万丈なのですw。
    そ、そのうw、やる気は有るのですけど資料整理が大変で、流石に「毎日」は発表出来ないかも知れませんw。お詫びします。<(_ _)>何時もお世話に成りまして誠に有難う御座います。

    投稿者:☆西郷隆盛☆ 2018/04/26 (木) 22:07
  • No.43 こんにちは^^

    資料整理は、大変ですよねぇ^^;
    自分も『東部戦線』は、4~5冊程の資料を読みながら書いているのですが、元々バラバラに書いてある書籍を、自分の文章で一つに纏め上げるのが、とても大変です><
    西郷さんも、無理の無い範囲で書いて頂けたらと・・・そう思います^^

    投稿者:フォンケル准尉@ジオン公国 2018/04/28 (土) 15:30 [ 編集 ]
  • No.44 恐れ入ります。<(_ _)>

    お気遣い下さって有難う御座います。本日は家の人の手伝いで庭の草むしりを午前と午後に分けてして居りましたw。資料整理もしてやっと書ける様に成りました。「やる気」は有るのです、本当w。充実して居りますw。日比谷線様の小説も楽しみにして居ります。良い方でどれだけ助かって居る事か。どうか是からも見守って欲しいですw。<(_ _)>

    投稿者:☆西郷隆盛☆ 2018/04/28 (土) 17:34

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