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ファンタスティックヒストリー 超島原幻闘録 ~柳生十兵衛地獄変~ 第2章 - 3

 「織田がつき 羽柴のこねた 天下餅 床机に座りて 喰うが 家康」と人と時代の流れを詠んだ詩(うた)が有ったりする。
 織田信長。織田氏は平安期の平重盛の次男資盛(すけもり)の末裔と伝えられ越前織田庄出の豪族とされるが室町期には三管領筆頭、斯波一族の尾張守護代。信長は織田信秀と土田政久(どたまさひさ)の娘、土田御前との間の子。生まれも育ちも随分と変わった男で、戦国乱世の小国尾張に有って一国一城を背負う嫡男の身で在りながら、身分を問わず慣れ親しみ行儀が悪く遊んでばかり。そんな彼も「遊んで居る様に見えて」実は己を鍛え、人との交流で世間を学び、独学で戦術、交渉術、経済、身の程迄学び、更に好奇心旺盛な男だったので積極的に何でも試す行動派で在った。
 斎藤道三を相手取った初陣も飾りその後和睦で濃姫を貰ったり、尾張中村の木下藤吉郎秀吉と出会ったりするも父信秀と平手政秀、弟信行を失う。只ですらチンピラ、世捨て人の人物像でその「悪評」は広まり松平竹千代こと後の徳川家康の「人質の横取り」で隣の今川義元を完全に挑発、上洛の名目で尾張を占領して行くと云う所迄来て居り、普通舐めてかかっても可笑しくない。
 家康も此の頃には義元の所に居て兵糧運びの任に就いて居たが桶狭間で義元が居なく成り居城岡崎を回復し清州同盟に。
 義元の子、氏真は京都の公家の所にでも生まれれば良かったかも知れないが余りにも文化人で、政治に軍事にと云った男ではなく更に父義元の弔い合戦に及ぶでもなく、京都に移住しては義元の敵、信長の前で蹴鞠を披露した事も有ると云った有様で、しかも家康を大切にして居なかったので清州同盟で手元を離れられ近隣諸国の良い様に領地は蹂躙され義元横死後9年で今川滅亡。学芸には大変有能では在ったが当時の時代背景に添う物では無く人心を掌握する術(すべ)も持たい随分と偏った能力の男だったので77で天寿を全うはしたが「暗愚な男」と言われ続けて居る。当時「滅亡」とは言った物の「今川」は徳川家の高家として登用され明治に成ってもその苗字が残る。
 美濃に於いては斎藤道三が斎藤義竜の為に敗死し義竜病死後竜興が跡を継ぎ信長は市(いち)を浅井長政に嫁がせ秀吉墨俣の一夜城で有名な美濃攻略に乗り出す。美濃を攻略後、足利義昭を奉じて上洛、明智光秀と会い、伊勢の北畠具教(きたばたけとものり)、近江の六角承禎義賢を攻略。越前朝倉義景を攻略しようとしたら逆に敗走、殿(しんがり)は秀吉。今度は信長、秀吉、家康の最強布陣で姉川に於いて浅井、朝倉を破る。そして秀吉は丹羽長秀と柴田勝家から1文字ずつ貰い「羽柴」を名乗り北近江三郡に封ぜられ旧浅井家臣団や元茶坊主石田三成を登用したりして居た。
 一向一揆、比叡山延暦寺攻略、武田信玄没、抵抗する将軍足利義昭追放、浅井、朝倉を破り、市、茶々、初、江と女子は戻って来るが男子の万福丸は殺され幾丸は小さかった為、後に出家させられ豊後細川藩を頼り杵築浅井として続くと云う展開に。
 武田勝頼を長篠に破り、根来(ねごろ)、雑賀(さいが)一向一揆討伐、松永弾正久秀を討滅、石山本願寺と近畿方面を攻略。
 明智惟任日向守十兵衛光秀に因る本能寺の変で信長没、直後に堺見物に来て居た家康は臣君伊賀越え、二週間も経ってから形ばかりの弔い挙兵。
 中国地方の毛利攻略に派遣されて居た羽柴秀吉の所に明智から毛利宛に届く筈であった手紙を持った者が捕えられ本能寺の変を知った秀吉は直ぐに清水宗治の切腹を条件に毛利と和睦、旗指物を借り受け弔いの大返し、決闘山崎天王山。光秀は敗走し追剥(おいはぎ)に殺られて絶命。後から来た秀吉にその首級を取られ本能寺に晒され豊臣秀吉の政権に。3日天下と言われるが実際は12日。
 早速その後継ぎについて柴田勝家の推す三男織田信孝か羽柴秀吉の推す信長嫡男信忠の長男三法師(後の秀信)に後見役信孝が付いて来るかで勝家と秀吉が対立、結局信長葬儀は秀吉が仕切り次男信雄、三男信孝、滝川、柴田抜きで「つつがなく」終了。
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フォンケル准尉@ジオン公国
(2018/04/24)


今回は織豊文化、安土・桃山時代の始まりですね^^
『安土』は信長が、近江『安土城』に拠点を置いてたからわかるのですが、『桃山』ってのはどういう意味なんですかね?
秀吉政治の拠点『聚楽弟』に、『桃山』という別名でも付いてたんだろうか?

おぉ!
織田秀信!
以前どの回かで、その名前を目にしましたね@@
あの三法師が秀信だったとは、驚きです@@
そしてその秀信が、島原とは縁があるのも驚き@@
ちょっと、もう一度読み返して来ます^^


☆西郷隆盛☆
(2018/04/25)


こんばんはっ!本日もご覧下さいまして誠に有難う御座います。そうなんですよ。一揆勢の島原から来て居た赤星内膳が織田秀信に仕えて居た事が有るのですw。^^(第1章-4より)流石ですw。そ、そして…「桃山」ですけど京都宇治川の北側に「桃山丘陵」と云う地形が有りましてそこに居城「伏見城」を秀吉が建立した事から信長の安土と並べて織豊(しょくほう)時代を意味する安土、桃山時代とされるそうですw。家康で江戸時代っとw。流石、良く見て下さってて嬉しい限りですw。是からもどうか御贔屓に、宜しくお願い申し上げます。<(_ _)>w

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ガオ

Author:ガオ
 宮崎の者で御座います。
 個人的に調査をした事を発表して居りますブログです。
 令和3年7月です。22日は海の日、23日スポーツの日から東京オリンピックが始まる予定です。
 引き続き健康第一!マスクにうがい、手洗いをどうか、宜しくお願い申し上げます。<(_ _)>

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