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ファンタスティックヒストリー 超島原幻闘録 ~柳生十兵衛地獄変~ 第1章 - 5

 遂に1637年12月11日、島原の口之津と有馬村で一揆勢は蜂起に至り島原の代官林兵左衛門を殺害、島原城の多賀主水が討ち取られ岡本新兵衛は逃走。天草では四郎時貞を中心とした一揆が呼応し本渡を攻撃、富岡城代の三宅藤兵衛重利を討ち取る三宅藤兵衛重利はあの明智光秀の従兄弟(いとこ)に当たる明智左馬之介秀満(三宅弥平次 PS2カプコンのゲーム「鬼武者」)の子で在る。
 しかし富岡城に唐津から原田伊予守嘉種(よしたね)が遣って来ると一揆勢は甚大な被害を出し島原城と富岡城は落ちず原城を占拠して立て籠るのである。
 原田伊予守嘉種は初め父信種、弟種房(たねふさ)と加藤清正の所に居たが清正と対立し領地没収、追放処分を受け次に寺沢広高、堅高親子に仕え島原の乱後改易処分と成って再び浪人、その後、天海僧正の仲介で会津藩主、保科正之(ほしなまさゆき)の所に収まる事に成る。
 こう云った騒動に手が付けられない場合、隣の藩から援軍を頼みたい所であるが現在の都道府県と云った感覚ではなく「他藩は他国」と見なされた当時、一旦幕府に許可を得てからでないと援軍は出せず、知らせを受けた幕府は松平信綱、阿部忠秋(あべただあき)、堀田正盛(ほったまさもり)、三浦正次(みうらまさつぐ)、太田資宗(おおたすけむね)、阿部重次(あべしげつぐ)の6人衆と云う将軍補佐の合議機関が有って後に若年寄と云う正式役職に成るのであるがその中心人物が松平伊豆守信綱で合議の結果、島原藩主松倉勝家と唐津藩主寺沢堅高の帰藩、近くの藩の援軍許可と島原へ板倉重昌(いたくらしげまさ)、石谷十蔵貞清(いしがやじゅうぞうさだきよ)の派遣を決定。板倉重昌は京都所司代を務める板倉周防守重宗(いたくらすおうのかみしげむね)の弟で在る。
 では、何故板倉重昌か?
 実は1632年九州肥後熊本52万石大名加藤忠広(ただひろ)の子、光広が将軍秀忠死亡後間も無く謀反を企てたと土井利勝(どいとしかつ)が言い出し国替えで豊前小倉の細川忠利(ほそかわただとし)が代わりに来る事に成るが、その手続きを進める上使として幕府から派遣されたのが此の男重昌で、無難に任務を果たして来た事が有り、駿河駿府出身ながら九州の情勢に詳しいからと言われる。その重昌も1638年の正月1日早々総攻撃で討死に。辞世の句が「あらたまの 年の始めに 散る花の 名のみ残らば 先駆けと知れ」である。板倉家はその後度々移封が有ったが明治に成っても存続する。しかし…此の決定の後にくちばしを挟んだ者が居た。
 柳生但馬守又右衛門宗矩である!
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ベレッタ艦長@ヴェネツィア
(2018/04/20)


おぉ!
遂に『島原の乱』が、始まりましたね!
四郎時貞をはじめ、知恵伊豆に但馬守も御登場!
いよいよ『本編突入!って感じが、してきました@@
それにしても、明智秀満の息子まで登場するとは・・・
単なる偶然の顔合わせと言うよりも、何か因縁めいた物を感じますね@@
阿部に堀田も、幕末まで徳川の重臣で居続ける、あの家系の祖となる人物ですかね?
土井利勝は以前、『新春12時間超ワイド時代劇』で自民党二階幹事長そっくりの役者が演じてたので、未だに『土井利勝=二階幹事長』ってイメージが、頭から離れませんwww

☆西郷隆盛☆
(2018/04/21)


何時もお世話に成ります、嬉しいですw。<(_ _)>そうなんですよ。あの家系の祖ですw。^^因みにあの坂本龍馬の家系も辿ると明智秀満に成るのですw。次からは第2章、柳生一族と銘打ってお届け致しますねw。請う御期待。

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Author:ガオ
 宮崎の者で御座います。
 個人的に調査をした事を発表して居りますブログです。
 令和3年7月です。22日は海の日、23日スポーツの日から東京オリンピックが始まる予定です。
 引き続き健康第一!マスクにうがい、手洗いをどうか、宜しくお願い申し上げます。<(_ _)>

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