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ファンタスティックヒストリー 超島原幻闘録 ~柳生十兵衛地獄変~ 第1章 - 4

2018.04.19(16:35) 12

 談合島。此の島は粗末な小屋が有り小舟で渡って来て僅(わず)かな土地を耕(たがや)し野菜等を作る者が居る位の無人島で在ったが島原組と天草組が遣って来て一揆を企てる様に成り「談合島」と呼ばれ「湯ヶ島」と云う本来の名前よりも語り継がれる事に成った。宮本武蔵と佐々木巌流小次郎の「巌流島」も、その「船島」と呼ばれて居たのが忘れ去られつつある。
 此の談合島に集まったのが島原から森宗意、赤星内膳、天草からは大矢野松右衛門、益田甚兵衛好次と云った者達であった。赤星内膳は信長の孫で在る織田秀信に仕えて居た。大矢野松右衛門は父が本多忠朝の家臣、大矢作左衛門で大阪の陣で忠朝が死ぬと忠朝の家臣を辞め天草に来て帰農した者。 益田甚兵衛好次は元商人のキリシタン大名で在る小西行長の家臣で在ったが関ヶ原で西軍豊臣について破れ、その処刑後浪人に。森宗意は父が森長意と云う男で代々関西で神社関係の仕事をしていた。宗意は武士に成り小西行長に仕え朝鮮出兵の文禄、慶長の役でその荷物運びの船頭をしていたが難破し南蛮船に拾われオランダ、中国にも行った事が有る。日本に戻ると高野山に居たが真田幸村に従い大坂の陣で敗れ長崎の島原に来ていた。弟子に田崎刑部重吉が居る。
 「天草17人衆」と云った者達が居たが当時の生の資料が無く架空の名前も数多く語られる事からはっきりとした名前が判る物は少ない。
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コメント
早速、『湯ヶ島』で検索してみましたが、なるほど、確かに今では『談合島』という名前がメインで載ってる記事が、多いですねぇ^^

1600年代も半ばに近付くと、織田家も孫の代になるんですねぇ・・・
信長が確か1534年生まれだと思ったので、孫と言ってももう、結構な爺さんですね^^;
信忠、信雄、信孝、いずれの孫なのかが気になりますね^^

それにしても島原はやはり、元『西軍』関係の方が、多いですね^^
【2018/04/19 17:48】 | ベレッタ艦長@ヴェネツィア #1X66VL8I | [edit]
こんばんは。何時も御覧下さいましてどうも有難う御座いますw。人間50年とされた当時、元服、婚礼も早目で信長も49で光秀の手に掛かりましたけど、今でこそ1日の望ましい塩分摂取量が5グラムなのに対し、当時は1日に50グラム、と言うのも戦に因る肉体酷使で汗をかきおのずと塩分を求める様に成る、信長の場合は好き嫌いの酷い偏食の上、早食いだったので不健康極まりないとの事で専門家は本能寺の変の有無に関わらず放って置いても高血圧に因る脳卒中か、心筋梗塞でどうせ死んで居たとの事ですw。因みに朝倉宗滴79歳、北条早雲88歳、慈眼大師南光坊天海107歳と云った例外が有るそうですよ。
【2018/04/19 19:52】 | ☆西郷隆盛☆ #- | [edit]
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