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ファンタスティックヒストリー 超島原幻闘録 ~柳生十兵衛地獄変~ 第1章 - 3

2018.04.18(22:28) 11

 「肥後の国天草地方」はかつて九州の大部分を支配した島津の一部で在ったが秀吉の九州征伐の結果、島津が薩摩に封じ込められ佐々成政が肥後領主に。
 その成政が国人一揆の責任を取って切腹してしまうと、この地は刀鍛冶加藤清忠の子で加藤清正、元商人小西行長の両人に半分ずつ与えられ更にキリシタン大名天草種元を初め天草五人衆「天草種元(あまくさたねもと)、志岐鎮経(しきしげつね)、大矢野種基(おおやのたねもと)、栖本親高(すもとちかたか)、上津浦種直(かみつうらたねなお)」が豊臣秀吉時代、小西行長の配下で所領を安堵されて居たが、行長の城普請の要求を拒否し小西行長と加藤清正に鎮圧され帰属、若しくは取り潰しに遭う。天草種元は取り潰し処分。
 世に言う天草国人一揆である。
 関ヶ原以来、西軍豊臣方で在った小西行長が居なく成ると天草地方は肥前唐津の寺沢広高の領地と成り広高は富岡城を築いて城代家老を常駐させ更に本渡、栖本と云った村に代官所を置いて厳重な支配体制を敷いた。
 因みに秀吉子飼の加藤清正は石田三成を嫌って東軍徳川方に。「讃岐国か肥後国かどちらか選べ」と秀吉に言われ、朝鮮出兵を予見してか肥後国を選んだとされる。その朝鮮で虎退治をして日本に「清正人参」つまりセロリを初めて持ち込んだともされ更に、出兵に際し「長生飴」と云う物を常備して居た事から「朝鮮飴」と呼ばれ、今の熊本銘菓の一つに。幕末の近藤勇も尊敬した人物で勇も清正も拳が開けた口の中に入る。清正はその昔、鹿子木氏が築いた隈本城を改修して熊本城と改め内政にも積極的な所を見せる。何でも「隈本城」は「畏(おそ)れる」と云う字が混じって居るからなのだとか…。
 しかし秀吉の子秀頼と家康の会見迄は生きて居たが大坂の陣に参戦する事無く死亡し子の忠広が家督を継いだものの1632年で改易処分と成り、小倉から細川忠興の子忠利が遣って来て領地とした。一応加藤家は庄内藩お預け。
 本渡の代官は室井文蔵、富岡城代は三宅藤兵衛重利と云う。
 寺沢家は元、織田信長の配下に居た者で志摩守広高の父越中守藤右衛門広政は秀吉時代に直参、播磨伊保庄(いほのしょう)を知行。広高は秀吉の時代には長崎奉行でキリシタンにはそれなりの理解を示す態度で在ったのが禁教令以来弾圧をする側に。広高が死に嫡男堅高が跡を継ぐと更に過激化する上に人が生まれれば「人頭税」死ねば「穴銭」と何かに付けて税を取り立てる圧政。後に堅高は島原の乱の責任を問われ、領地召し上げの上自殺し、寺沢氏は滅亡。
 此の辺りでは何時、何が起きても不思議では無い状態だったのである。必然的に搾取される側は神に救いを求める様に成る。
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コメント
いやぁ、九州はどっちを向いても、圧政・重税だったんですねぇ・・・
それは、暴発しない方がおかしいです^^;
ちなみに『小西行長』も確か、キリシタン大名でしたよね?
養女が『ジュリアおたあ』でしたっけ?
【2018/04/19 14:33】 | ベレッタ艦長@ヴェネツィア #1X66VL8I | [edit]
こんにちは。まさしくそうなんです!行長はキリシタン大名、養女「ジュリアおたあ」は朝鮮人!流石、良く御存知で。<(_ _)>w是からも曲者が続々と登場、請う御期待ですw!
【2018/04/19 15:00】 | ☆西郷隆盛☆ #- | [edit]
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