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ファンタスティックヒストリー 超島原幻闘録 ~柳生十兵衛地獄変~ 第3章 -13

 本日も長閑で爽やかな朝、此処は遠江掛川。宿を出て間も無く掛川城跡が見える。あの今川義元の祖父に当たる今川義忠(よしただ)の城。「栄枯盛衰…か。」桶狭間での義元の突然死からすっかりあの恐怖の今川が変わってしまった。義元の息子氏真は文化人として決して頭が悪くはなかったが「頭の良さ」と「神経のズレ」は別で、家康の庇護の下、77歳迄生き、明治に成ってもその今川の名を残した男ではある…。
 将門十九首塚なる物が見えて来る。940年藤原秀郷、平貞盛が国賊新皇平将門一門19名を討伐、その首を弔った塚と伝えられる。940年3月25日が命日だが8月15日に供養祭が行われると言う。現在の東京千代田大手町にも平将門の首塚が有るのだが…後の関東大震災の後で首塚の所に当時の大蔵省仮庁舎の建設計画が有って何にも知らずに工事を進めて居るとその工事関係者、省庁職員の人、果ては大蔵大臣の早速整爾(はやみせいじ)迄が謎の死を…。また戦後GHQが区画整理に首塚の場所に造成の工事を入れようとしたら重機の事故で関係者死亡…迷信と笑って居たアメリカ人迄将門の呪いに恐れをなして流石に中止にしたとされる。序でに芸人の爆笑問題太田光氏が首塚にふざけてドロップキックをしたら恐ろしい事に何と……暫く干されたのである!(真実)現在も平将門の呪いと言われて居る。「ケッ!国賊輩(ばら)が…。」いくら当時の朝廷が腐敗して居たからとは言え勝手な宣託を口実に「新皇」を自称する等ちゃんちゃら可笑しい、特許制度も著作権制度も無い当時、宣託を口実に皇室を乗っ取ろうとしたクソ坊主道鏡ではあるまいに、ふんぞり返りたい為に同じ事をしたがる連中で此の国は収拾の付かない事態に成って居た所である。ゴキブリのクズにも成って居ない新皇様とやら風情が呪いとは笑止千万。三厳は「筋と道理」の通って居ない事が嫌いなのである。牧之原の向こう側に御前崎が望める。
 袋井(ふくろい)に到着。実は五十三次ド真ん中27番目の宿場に遣って来た。法多山(はったさん)、聖武天皇時代の僧、行基が開いた所で正観世音菩薩を祭る、真言宗。万松山可睡斎(ばんしょうざんかすいさい)は防火の神を祭る、曹洞宗。医王山油山寺(いおうざんゆざんじ)是も行基が開く。薬師如来を祭る。「油」が沸いて出たから油山と言われる。続いて木原畷(きはらなわて)、此処はあの家康が信玄に負けた三方ヶ原の前哨戦の有った場所。無駄な血が流れた、信玄の突然死を待って居たかったと家康が後悔した三方ヶ原。人生とは本当に判らない物である。名物「ぼたん餅」を買って太田川を渡る。
 見付に遣って来る。磐田の見付は後の盗賊白浪五人男の頭目、日本左衛門が江戸で斬首、この地で獄門と成った所である。
 天竜川近くの豊田町池田は謡曲「熊野(ゆや)」で知られ平宗盛の寵愛を受けた熊野御前の地元。行興寺にその墓が有る。南には絶景遠州大砂丘が広がりその向こうに遠州灘が見える。
 天竜川を渡って此処は浜松。浜松城と有名な三方ヶ原が望める場所。珍しく家康が敗れた、相手が信玄では無理も無い。佐鳴湖も見える。そして後の賀茂真淵の地元、神官をしていた国学者である。浜名湖も見えて来た。
 舞坂(まいさか)に遣って来た。そもそも浜名湖は淡水湖で海と繋がって居なかった。1499年の大地震で陸が切れて海と繋がる。その辺りは「今切(いまぎれ)」と言う地名に成る。例に因って橋が架かって居らず船で渡るが夕方4時より遅くは船が出なかったとされる。従って此処で宿泊。宿で名物の鰻を食べる。そも食事は朝と夕方だけであった。室町時代からお昼を食べる習慣が始まったとされる。お昼が袋井のぼたん餅だけであった。正直三厳は栄養学には素人で料理もした事が無い、と言うかあの秀吉が信長に台所奉行を命じられた時期が有って奉行とは言っても当時の男子は戦場での働きが主体で「食」への関心が薄いどころか馬鹿にすらする所が有った、そんな目で見られて居たのである。三厳もたぶんに漏れずそんな感じの男の一人であった。た、確かに美味しい物を作ってくれる人有っての食べる人。年貢を納めてくれる百姓有っての武士。三厳は食べかけて居た鰻を見る目が変わった。此処で少し、「信長のシェフ」と云った作品が有るが実際に居た「坪内」なる人物にこんな話が本当に有った。1573年信長は足利義昭を追放、その義昭に味方して居た三好家をも滅ぼし捕虜を捕える。その中に居た「坪内」なる人物、実は料理人で鶴や鯛を料理する。響膳の儀式についても鉄人級の現在で言う所の「天皇の料理人」的な感覚の目で見られる程の人だったのである。その腕を惜しんだ家臣が殺すのもどうかと思うので此の「坪内」なる人物を召し抱えてはどうかと信長に進言。早速食べてみると「こんな水っぽい物は食えん!」と信長はしらけて「殺れ」と言うが「坪内」なる人物は土下座で今一度だけ作り直させて欲しいのです、是では死んでも死に切れません、それで駄目だったら諦めも付きます!」と言うのでもう一度し直させた所、今度は打って変わって信長は大喜び。と言うのも実は三好家は初代忠輝以来5代に亘り公方家にあって政(まつりごと)を司って来た家柄。その三好家第一級の料理つまり公家用の料理、それが信長の口には合わずそれならばと信長と言えば尾張のしかもバカ殿と言われた作法も品格のかけらも無いただの田舎者だったので敢えて三流の塩っ辛い田舎料理に作り直してみたら是が大ウケ!当時は現在の都道府県と違い国が違えば「他国、外国」と見られ情報も秘密が多かったので天下布武の大言壮語をした信長も何にも知らないただの田舎者。しかも戦が主体なので戦で汗をかく、塩分が欲しくなる、信長は特に塩味のきつい料理を好んで偏食も酷く更に早食い。序でに酒乱と来たものである。1日に約50グラムの塩分を摂取して居た当時、武田信玄とかはかなり厳しかったであろう。明智光秀に因り49歳で信長は死んだとされるが遅かれ早かれ高血圧に因る脳卒中か心筋梗塞かでポックリと逝って居たであろうとされる。未だそんな時代の続きだった頃の話である。三厳も酒乱の気が有る。「改めねば…」馬鹿にしてはいけないと「節制と食への尊敬」を本気で決心をする三厳であった。「実る程 頭を垂れる 稲穂かな…」っと云う訳でまた明日。

ファンタスティックヒストリー 超島原幻闘録 ~柳生十兵衛地獄変~ 第3章 -12

 今回はゆっくりと寝られて少し遅めに起きる三厳。清々しく晴れた朝。
 此処は静岡の茶所岡部。丸子から焼津方面に来ていたのであった。現代は福岡の八女と京都の宇治と並ぶ玉露の産地。
 光泰寺(こうたいじ)に参拝。此処にはあの聖徳太子立像が有る。物部守屋から仏教を守る戦いに勝ったあの太子。実際島原騒動の後、庶民はどこかの神社仏閣に入れさせられキリシタンでなくさせられ、法要行事等が有るのは寺がキリシタンに睨みを利かせ監視させる為の幕府政策だったからである。聖徳太子が当時は耶蘇教とか景教とか言われたキリシタンであったがためにそして秦(はた)や蘇我と云った渡来勢力の抗争に巻き込まれて殺されたと云う説も有るには有るが…。因みにあの東儀秀樹氏も秦河勝(はたのかわかつ)が先祖とされる。古代史に想いを馳せて高草山を見ながら朝比奈川を渡る。
 藤枝に到着。左車(さぐるま)神社が有る。執権北条期に鎌倉6代目将軍として後嵯峨帝第一皇子宗尊(むねたか)親王が将軍と成り鎌倉へ行く途中、車の左車輪が壊れ修理をしている間親王が休息をして居た場所を後に「左車山休息寺」と呼ぶ様に成った。現在は「成田山新護寺(なりたさんしんごじ)」として存在。
 蓮生寺(れんしょうじ)も有る。源平合戦であの平敦盛との一騎打ちで有名な熊谷直実縁の地。そも平家出身であったが源氏に乗り換え「南無阿弥陀仏」で有名な浄土宗の法然源空の門徒としてその後出家し蓮生を名乗った事からそのまんまの名前。後に浄土宗は立正大師日蓮に因り「仮の教え」と一蹴される。
 島田に到着、此処には「箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井川」と言われる大井川が有る。規模の大きい川で橋が無いので人足を雇う。その少し手前に大井神社が有って秋には3年置きに「帯祭」と云う物が有る。よそから嫁いできた花嫁が大井神社に参詣した後、宿内に披露したしきたりが変化して帯だけを神社に飾って披露したのが始まりとされる祭り。通りすがりの旅烏が「島田くずして嫁菜を摘んだ、あの娘恨むは筋違い~♪」と良い声で高らかに歌って居るのが聞こえる。因みに名前を聞いた所「音次郎」と云う人らしい。
 大井川を渡って金谷(かなや)に到着、大規模な茶園が長光寺(ちょうこうじ)から見える。此処はもう遠江なので見える海は遠州灘、まだ富士山が見える、絶景を眺めながら近くの茶店で一服。「旅行けば 駿河の国の 茶の香り」そう言えば松尾芭蕉は1644年生まれと云う事で柳生十兵衛三厳と重なって居るが1650年に三厳は変死体で見つかって居り芭蕉は未だ幼かった。後に芭蕉は此処金谷で「道のべの 木槿(むくげ)は馬に 喰われけり」とか「馬に寝て 残夢月(ざんむつき)とおし 茶のけぶり」と云った詩を詠んで居る。
 続いて菊川神社、かつてこの辺りで1221年の承久の乱で鎌倉幕府側に捕えられた藤原宗行(ふじわらのむねゆき)が漢詩を詠んだとされ、室町幕府の頃には1324年の正中の変で捕らえられた御醍醐帝の側近で倒幕運動の為山伏姿で各地を歩いて居た公卿、日野俊基(ひのとしもと)が歌を詠んだとされる。
 久延寺(きゅうえんじ)此処はあの山内一豊が関ヶ原に向かう家康を接待するのに境内に茶室を設けたとされる所。そこには夜泣き石と呼ばれる大きな丸い石が有る。昔、妊婦が山賊に殺されたが腹の子はたまたま助かり久延寺住職が水飴で育てた。殺された母親の霊が石に取り憑き毎晩泣くので読経で慰めたとされる。「死してなお 永久(とわ)に子見詰め 夜泣き石 海より深い 母親の愛…か」三厳は呟く様に言う。目の前はあの西行法師が「年たけて またこゆべしと 思いきや 命なりけり 小夜(さや)の中山」と詠んだ場所。生と死の意味について考えてみるが答えは無限に有り、曲がった物でない限り1つしか選べない事が判った。此の現世(うつしよ)、答えの出せない矛盾も踏まえてである。
 日坂(にっさか)に到着。事任(ことのま)八幡宮、誉田八幡宮(ほんだはちまんぐう)とも言われる場所が有る。807年坂上田村麻呂がきっかけで願いが「事の任(まま)に叶う」と評判が立ち今だに賑わう。塩井川を挟んで雄大な雄鯨山(おくじらやま)と雌鯨山(めくじらやま)が見える。日坂名物「わらび餅」をちゃっかり買ってそろそろ宿探し。
 掛川、此処は奈良吉野と並んで「葛」で有名。日暮れと云う訳で今回は此処で宿泊。ゆったりとくつろいでまた明日…。

一昔前の絵が出て来ました。

懐かしい昔の格闘アクションゲームダブルドラゴン。最近のニンテンドースイッチには第四弾が登場。スイッチが欲しいw。(((>ω<)))w
ダブルドラゴン
そろそろ値下げしないかなあw。一昔前(何十年前)に描いた絵が出て来ましたので一部修正をして着色してみました。こんなの描いて居たとはw。(@ω@)

皆様、こんばんは。

今回はガンプラでアバオアクー祭りw。此処迄出来ました。ガンダムはリアルグレード、ザクとリックドムはハイグレードです。1/144なのですが一昔前のしか知らなくて驚かされる事多々有りました。先ずアマゾンで買ったのですが、値段が凄かった事。全て接着剤不要のハメコミ式だった事。何にも知らずに接着剤も購入して無駄に。色分けもなされて居た事。改造無しのキットで肩部が前に可動する事。リックドムの頭部が可動する事。
夢に迄見たアバオアクーのジオラマが出来るのです。後は量産型のゲルググを買いましたので作るだけ。後GMとS専用ズゴックとグフが欲しいです。個人的に1/144へのこだわりが有って1/100は×。ジオラマキットとかは有って欲しいです。ガンプラ万歳!
ガンプラ1

ファンタスティックヒストリー 超島原幻闘録 ~柳生十兵衛地獄変~ 第3章 -11

 夕べ悪夢を見て寝覚めが悪い、欠伸(あくび)たらたら由比を出立。もう雨は止んで長閑な朝。
 清水港が見えて来た。此処は興津。「清水港の名物は、お茶の香りと漢伊達…♪」茶店で団子を食べて一服して居ると旅烏(たびがらす)同士の話声が聞こえて来る。「山田長政様が…」1630年に死亡した山田仁左衛門長政の話らしい。そう言えばここから少し戻った沼津で大久保忠佐(おおくぼただすけ)の駕籠かきをして居た男であったが1612年朱印船でシャム(現在のタイの国)に渡航、アユタヤ日本人町頭領に。日本人部隊の隊長として内乱鎮圧に参戦。それをアユタヤ朝ソンタムに認められシャムの女王と結婚。オーヤーと云う官位、セナ―ピムックと云う名を授かる。ソンタム王没後、後継争いに巻き込まれオーヤー=カラホムに敬遠されてリゴールに左遷される。後にパタニ軍との戦いで足を負傷、傷口に薬と称して毒を塗られて死亡。その後新しい王に日本人町は焼き討ちにされる。因みに「シャム猫」と云う猫が居るがタイの国の猫の事である。
 世界地図は見た事が有って朧気(おぼろげ)には判っては居たが天下国家を預かる身分ではない自分には関係の無い話と詳しくは知らなかった。あの聖徳太子は掌(てのひら)サイズの地球儀を持って居たと云う話であるが、本当かどうか…?
 一服を終えて、勘定を済ませてまた歩き出す。奈良時代からの由緒正しい清見寺(せいけんじ)が見えて来た。五百羅漢が有る。あの徳川家康も竹千代と言われた少年時代に人質で今川に居た頃、此処で勉強をして居たとの事。前庭の臥龍梅は家康が接ぎ木をした物。他にも兼好法師、鬼貫(おにつら)、武田信玄、豊臣秀吉、後の島崎藤村、与謝野晶子も来た所。「清見寺 由緒正しい 聖地也…」三厳もお参り。
 江尻に到着、現在の清水辻町の辺りからJR清水駅前の清水銀座を抜けて巴川の稚児橋(ちごばし)を渡って入江町に至る界隈の事であった。何でも此の橋は家康が敢えて架けさせた橋で完成の後、地元の老夫婦を選んで渡り初めをしようとしたら、川からお河童頭の稚児が現れ橋を渡って府中方面に消えたとの話から「稚児橋」と言われる様に成ったと言う…。橋を渡ったら天女の話で有名な三保の松原方向に行ってみる。平安期からの景勝地で羽衣神社が有る。春は22種、220本の桜も咲く。現地には行かなかったが近くで富士山とその絶景に見惚(みと)れる。次は府中である。
 府中に到着。あの「東海道中膝栗毛」で有名な十返舎一九の地元。そして幕末の西郷隆盛と幕臣山岡鉄舟の会見の場所で更に登呂遺跡も有る所。名物は安倍川餅。
 丸子(まりこ)に到着。源頼朝が建設させたとされる誓願寺(せいがんじ)が有る。名物が十団子(とおだんご)、その十団子であるが宇津ノ谷の梅林院と云う寺の住職に腫物が出来、小僧さんに膿を吸わせて治した所、その小僧さんが人肉の味を占めてしまい、通りすがりを食する鬼に成ったとされ通りすがりの旅僧が此の鬼を唆して小さな玉に変身させそれを杖で10粒に砕き飲み込んで退治したと言った話が有りそれに因んで10の玉に見立てた団子で十団子に成ったとされる。現在はその宇津ノ谷にはトンネルが通って居る。
 その近くに「お羽織屋」と云う所が有って、あの豊臣秀吉が小田原征伐に向かう途中、宇津ノ谷の民家の軒下に下がった馬の沓に目を止め使い古した自分のと取り替えて欲しいと申し出た所その民家の主人は4本の足の3つ分しか出さなかったので秀吉が訳を尋ねると主人は「ここに残した1つで戦勝祈願をする」と答えた。秀吉は気を良くして出立。勝った帰りに同じ所にまた寄り褒美に陣羽織を与えたので此の家は「お羽織屋」と言われる様に成ったと云う。
 すっかりと遅くなってしまった、岡部で早速宿決め。此処で少し、当時は「飯盛旅籠(めしもりはたご)」と「平旅籠」と云う2種類の宿が有り平が普通の、飯盛(めしもり)と云うのが風俗宿を意味して居て幕府も基本禁じてはいたが黙認して居る所が有った。しかし余りの風紀の酷さに後に幕府は「宿に飯盛女は2人迄」と云う触れ書きを出した程。勿論三厳は「危険な島原へ向かう」ので、高く付く飯盛旅籠に泊まった事は無い。どうせなら田舎臭いのは御免被る。いや、既に妻子持ちであった。怒った妻にあそこを斬り落とされては敵わん。そんな事を考えて震えながら床に就く。明日も晴れの様だ。

りえ太様がw!

此の度、りえ太様がお友達に成って下さいましたw!\(^O^)/ポケットモンスターにお詳しい方w。
りえ太様、御世話に成ります!有難う御座います。皆様方の御陰です。<(_ _)>

海野六郎

皆様こんばんは。<(_ _)>今回は十勇士の一人「海野六郎」です。才蔵と似たような性格で気の合う設定です。
海野六郎
此の話は登場する人が十勇士以外にも沢山居るのですが大体設定は整って居ります。
前々から温めて居た設定ですw。のんびりと内容も書いて参りたいと思いますw。

ファンタスティックヒストリー 超島原幻闘録 ~柳生十兵衛地獄変~ 第3章 -10

 蒲原に到着、早速「義経硯(すずり)の水」が流れて居る所が見える。かつて奥州へ向かう源義経が矢矧(やはぎ)の長者の娘、浄瑠璃姫と恋仲と成り姫宛に手紙を書く硯の水に此処のを使ったとされる。一応妻子の有る身の上だが今迄が剣道一筋だったのでどうも色恋沙汰は素人感が否めず群馬に東吾妻(ひがしあがつま)とか嬬恋(つまごい)とか云った地区が有るが初めは「地名」とは知らず、仲良し夫婦ののろけと本気で勘違いした事が有った程。確かに「女心」は判りにくいが、人で在る以上是からは戦の無い平和な世の中を「続け」なければならない筈なのに「策謀の為の心理的駆け引き」は心得が有ったが「他の人の心を知る」事も知らなかった己が是で良い筈が無い。女子の気を惹きモテる為の事を何でもする「助平な男」が多少羨ましく成って来た。必ず「適度に」助平で在る事も魅力に成るのかと今頃に成って気が付く。酒は「適度が百薬の長」みたいに色恋沙汰も適度でなければドン引きされる。恋の手解(てほどき)は「仲睦まじく成る為に相手の事を考えた言動」と云う意味で「秩序、治安、平和」に直結する重要な事である。あの有名な「愛の兜」を被って上杉謙信の所に居た「直江兼続」が思い出される。三厳は己を恥じた。心機一転必ず生きて土産を買って戻り「穏やかな余生を送ろう」と硯の水を見て決心して歩き出す。実際晩年は随分と穏やかに成ったと評判に成る程であったとの事。
 蒲原にはお寺が八ヵ所も密集して居て光蓮寺(こうれんじ)、龍雲寺(りゅううんじ)、東漸寺(とうせんじ)、妙隆寺(みょうりゅうじ)、長栄寺(ちょうえいじ)、和龍寺(せんりゅうじ)、城源寺(じょうげんじ)、後に光蓮寺に併合される海前寺(かいぜんじ)が有る。「蒲原に 過ぎたる物が 三つ有る 出入り疫病 寺が八ヵ所…か」当時の此の辺りの里謡(りよう)である。
 次に由比。臨済宗の林香寺(りんこうじ)、1609年鷹狩りで来て居た家康に天倫宗忽(てんりんそうこつ)和尚が山椒を水に入れて渡したら是が気に入られ駿府に納める様に言われ13石余りの知行を下されると云う事が有った。
 少しだけ雲行きが怪しく成って来た夕方、今回は此処に宿泊する。名物のたまご餅を買って食す。機嫌は上々、島原迄は未だ遠いと思って寝て居ると…、「…ククククク。我こそは柳生の讒言に因り謂れの無い目に遭わされた者等の怨霊…、その強さ我が暗黒神に捧げ魔道に堕ちろ…。」
 三厳は気が付けば金縛りに遭って更に悪夢を見てうなされて居た。「柳生の前に魔道も何も無いわ!」三厳は未だ知らない。此処由比が、あの幕府転覆を計画して居た「由比正雪」の生まれた紺屋(こんや)の有る所だったのを。実はその計画の中に間接的に関わりを持った者が島原騒動の中に存在していたのである。何時しか雨が降って居り遠くで雷鳴が聞こえて居た。

皆様の御陰です。

 皆様、こんばんはw。音鳴様、ツバサ様、荒ぶるプリン様、TYPEMM04様、風月時雨様、ponch様、まー様、ロベルタ中尉様の皆様方の御陰でお友達が8人に成りました。無茶を寛大に受け入れて下さり誠に有難う御座いました。粗相の無い様にお誓い申し上げます。<(_ _)>絵の勉強に成ります。お陰様です、感謝申し上げます。

 6月6日。ツバサ様、お誕生日誠におめでとう御座います。事情に因り此方の方でのお祝いとさせて頂きます。お友達に成って下さり感謝申し上げます。良い方々に恵まれて大変嬉しく存じます。健康第一!!個人的に完全健康体でない身の上でして心身共に健康有ってのいろいろな出来る事と思います。良い関りで在り続ける皆様方の為にもどうか御自愛下さいませw。<(_ _)>ご健勝とご多幸を願って居ります。「梅雨の雲 世にさす光 誕生す!」
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ガオ

Author:ガオ
 宮崎の者で御座います。
 個人的に調査をした事を発表して居りますブログです。
 令和3年7月です。22日は海の日、23日スポーツの日から東京オリンピックが始まる予定です。
 引き続き健康第一!マスクにうがい、手洗いをどうか、宜しくお願い申し上げます。<(_ _)>

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