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初めてブログのテンプレート取得に成功。

皆様、こんばんは。コンピューターの事は素人の私が初めてブログの公式テンプレート取得に成功しました。時間がかかって無い知恵絞っていろいろと試してまぐれで成功しました。やってみる物でw。
あw、そ、それとw、と、突然の友達申請は…、「怪しい」と思われた方にはお詫び致しまして諦めますから承認許可が下りなくても「駄目で元々」でして居ります。粗相の無い様に致したいので無視してお忘れくださいませ。<(_ _)>無理強いの権限は私には御座いません。

ファンタスティックヒストリー 超島原幻闘録 ~柳生十兵衛地獄変~ 第3章 - 7

 「日暮れの山道 細い道 小田原提灯ぶら下げて…」酒匂川(さかわがわ)を渡って此処は小田原。後の幕末、二宮金次郎尊徳の地元と成る所。そも小田原城は室町時代に「大森一族」に因り造られた山城で「北条一族」の代に外郭が整備される。江戸時代に「稲葉一族」、「大久保一族」の物と成る。
 城の良く見える場所で此の辺りに居た者達を知って居る限り思い出してみる三厳。…相模守護扇谷上杉定正(おうぎがやつうえすぎさだまさ)の家臣太田道灌資長(おおたどうかんすけなが)、古河公方足利成氏(こがくぼうあしかがなりうじ)、北条早雲こと伊勢新九郎盛時(いせしんくろうもりとき)、北条氏綱、北条氏康、北条氏政、北条氏直、板部岡江雪斎、風魔小太郎、高坂甚内(こうさかじんない)。兵共(つわものども)が夢の後である。元々は荒れ放題の田舎であった此の地が信じられない程の賑わいである。
 相模湾を後に内陸部箱根へ、右手に箱根山が見える、現在の駅伝で知られる様に兎角、山道で坂が多い。
 「箱根の山は 天下のけん 函谷関も ものならず…」後の滝廉太郎が歌った箱根に到着。「箱根八里は 馬でも越すが 越すに越されぬ 大井川」とは良く言った物である。大井川は静岡県。先ずは早雲寺、北条早雲の遺命で2代目氏綱が建立したとされる。早雲の子北条幻庵の作とされる枯山水庭園が見える。続いて割石坂(わりいしざか)、先述の曽我兄弟が仇討ちに向かう途中、此処で刀の試し切りをして大石を割ったとされるので割石坂。此の辺りは工芸品の寄木細工で有名。通りかかったお店の中にそれが見えたりした。匠の技とは言うが三厳には正直言って自信は無かった。人それぞれの才能には脱帽させられる物が有る。
 南北に縦長の芦ノ湖が見えて来た、天気が良いので見事な逆さ富士が見える。「時止まる 芦ノ湖逆さ 富士の春」山道で疲れた身に風が心地良い。無事に箱根関所を通っていよいよ静岡伊豆の三島入りである。

藤子不二雄先生に憧れて

皆様、こんばんは。忍者をかいてみました。藤子不二雄先生の「ドラえもん」「忍者ハットリ君」「パーマン」の世代で真似てかいていたらこんな感じに成りました。憧れの先生です。小さい頃から入退院を繰り返して居て月間コロコロコミックを見て居たら隅っこに「応援のお便りを送ろう」と編集社宛に書いて有ったので送ってみたらたまたま夏場だったのでまさかの「暑中見舞い」と云う返事の葉書が来たのを覚えて居ります。忘れられないものに成りました。
さいぞう
「忍者ハットリ君」に憧れましたw。私は「十勇士」と云うのをかいてみたいです。所謂真田幸村と十勇士で内容は当時の流れでと決まって居り、筋書き、ネームとか考えなくて良いのでその辺りが時代劇は楽です。此の忍者は主役の「霧隠れ才蔵」です。主役でありながら最も目立たない性格。他にも明るい「筧十蔵」、力自慢の巨漢「三好清海入道、三好伊左入道兄弟」、才蔵と十蔵の修行に付き合う百地三太夫、謎の多い紅一点「ひばり」と真田幸村、島左近、敵(かたき)役は服部半蔵正就と徳川家康です。「最後」も設定が決まって居りましてそれ迄に「交流、団結」と云った内容にしたいです。キャラだけ決まって筋書き、ネームが「思い付きで」の内容の無い漫画と違って居ります。短くても良い内容に成って居ります。私の場合は「島耕作」みたいな難しい内容は無理w。>ω<

鹿児島帰り

皆様、こんばんは。<(_ _)>26日、土曜日に旅行の日程を終えて戻って参りました。家に帰って直ぐ風邪を引いたみたいで薬を飲んで寝て居て報告の遅れました事お詫び申し上げます。
実は神奈川から身内が2人、宮崎市内にも身内が2人と我が家の家族3人との総勢7人で行って参りました。一族集結とは滅多に無いのではしゃぎ過ぎて油断して風邪を引いたのかも…。>ω<;
鹿児島の西側のさつま半島の方の霧島です。見所の西郷さんの関係はさつま半島の方に多く正直東側の大隅半島は桜島くらいです。「旅行人山荘」と云う所に泊まりました。源泉かけ流し露天が有ってそこで何と野生の小鹿と目が合いました。人慣れしているのかのんびりとしていました。「初夏の里 鹿と目が合う 露天風呂」良い思い出が出来ましたw。楽しい時間はあっと言う間に。宮崎ブーゲンビリア空港で解散したのですが次はいつ会えるか判らず保証も無いのでつい泣けてしまいました。一期一会ですよw。世の中、酷い家庭も沢山有ってうちは未だ恵まれた方で、せめて両親を大事にして家の手伝い、肩叩き等を感謝をしながら続けて行きたいです。実は私、荒れて居た時期が有りまして「当然とか、綺麗事」とか言って居た頃が有ったのですけどその「当然とか綺麗事」とか自分が良い方向に変わらないといけないとか如何に悪事に向かうのが簡単で善良を維持するのが困難かと言うのが今更ながら思い知り、過去の消し去りたい悪事はどうにも出来ないけど是から更生するのはどうとでも出来ると実感しました。私は決して頭は良くないのですが是は一時(いっとき)も忘れませんw。まさに「親孝行 したい時には 親は無し」です。出来る内にしたいのです。<(_ _)>

5月26日土曜日迄不在のお知らせ。

キャラ2
 こんばんは。皆様、実は23日水曜日から5月26日土曜日迄、神奈川から身内が遣って来て一緒に鹿児島に行きます。そのお知らせだけですw。^^;本物の西郷さんに会って来ますw。楽しみです。<(_ _)>

ファンタスティックヒストリー 超島原幻闘録 ~柳生十兵衛地獄変~ 第3章 - 6

此処は平塚、日蓮宗の要法寺(ようほうじ)。その近くに春日神社が有って「平塚の塚」なる物が有る。857年、桓武天皇の曽孫で坂東平氏の始祖、真砂子が一族と共に東国に向かう途中、此処で没した為、遺骸を埋めて此の塚を造ったとされる。呼び方も初めは「たいらつか」と言って居た。少し西に行くと高麗山(こまやま)の麓(ふもと)に高来(たかく)神社が。高麗も高来も668年、中大兄皇子(天智天皇)の頃に唐、新羅連合軍に因り滅ぼされた高句麗に由来する。国を追われた高句麗王族と従者の一部が渡来。日本各地に居住。大磯には王族の一人若光(じゃっこう)に率いられた有力集団が上陸して付近の開墾に尽力。日本人と言ったら「多民族国家」と言った気が余りしないが最新の研究結果に因れば大昔から半島、大陸側は勿論、遠く南方から船で来日して定住した外国人との混血が進んで居たとされる…。
 平塚から1里の大磯に到着。此処延台寺(えんだいじ)は日本三大仇討の一つ曽我兄弟の仇討伝説に纏わる所。鎌倉初期、父親の河津三郎祐通(かわづのさぶろうすけみち)を静岡県で殺された曽我兄弟が頼朝の所に仕えて居た工藤祐経(くどうすけつね)を討ち取る話。
 舞の名人であった美女「虎御前」は兄、曽我十郎祐成(そがじゅうろうすけなり)と弟、曽我五郎時致(ごろうときむね)の兄の方、曽我十郎祐成と恋仲に。虎御前が兄弟を偲んで庵を結んだ跡と言われて居るのが延台寺。生前の曽我十郎祐成が虎御前の家で敵方の刺客に襲撃をされた時に敵の放った矢を受けて曽我十郎祐成の身代わりに成ったと云う虎御石が有る。
 黄昏時…。本日は此処で宿をとる三厳。暫く天気が良さそうで大助かり。幕府の有事の際の方針で基本、川には橋が無く、雨で水かさが増して居る時とかは「川止め」と言って雨が止んで川の流れが穏やかに成る迄待たされるのである。明日は小田原、そして箱根、神奈川を出て静岡へ…。

此処で、とても良かった事…。

キャラ1
 近頃、勇気を出してみて本当に良かった事が有ります。
 私のブログに来て下さったツバサ様、ponch様、まー様に友達申請をしたら皆様、承認を下さいました。
 御陰様です。勿論、麿准尉様にも同じく御世話に成りまして誠に有難く心から感謝申し上げます。<(_ _)>
 皆様、絵がお好きらしく大変立派な絵が沢山有ってまだまだな私は勉強に成ります。
 良い皆様方に「失礼だけは無い様に」と心掛け続けます。宜しく御指導下さいませ。

小野次郎_NEW

ファンタスティックヒストリー 超島原幻闘録 ~柳生十兵衛地獄変~ 第3章 - 5

 「鎌倉の幕府は何所(いずく) 将軍の営所は何(いず)ら 朝日照る東御門(ひがしみかど)に 麥(むぎ)の芽の芽生えは青く 夕日照る西御門(にしみかど)には 赤土(あかつち)の畝(うね)こそ続け 春の風海より吹くに 土埃(つちぼこり)軽く舞い立ち 照れる日に見えて漂う此の跡所(あとどころ) 武士(もののふ)の亡(ほろ)びし跡の寂しさに まされるはなし 残る物の無き…」明治時代の国文学者、窪田空穂(くぼたうつぼ)の詩である。今回は東海道を少し逸れて神奈川の三浦半島の付け根、此処は大仏が見守る鎌倉。鶴岡八幡宮に参拝し源頼家の子、公暁(くぎょう)に因る源実朝の暗殺劇とそれを見て居た大銀杏を見上げて思いを馳せながら触れてみる。(落雷に因り今現在は無い。)そして由比ヶ浜から東海道に戻る所、江ノ島を望む七里ヶ浜の辺りはあの源義経に因る頼朝宛の情に訴える手紙で有名な腰越(こしごえ)。更に江ノ島の向こう側は茅ヶ崎(ちがさき)、三浦半島には戦国期に「討つ者も 討たるる者も 土器(かわらけ)よ 砕けて後は 元の土くれ」いきなり関東に降って湧いた得体の知れない北条一族(初代本名、伊勢新九郎盛時で存命中は北条を名乗って居らず二代目氏綱から北条を名乗る。)を相手取って善戦した三浦義同(みうらよしあつ)、義意(よしおき)親子が居た。…「古(いにしえ)の 猛者(もさ)を偲びて 鎌倉の 夢の宴に 花の散るらん」相模湾を眺めながら呟いてみる。なあに、俳句短歌の厳しい決まり等、そも庶民の歌垣から始まった現在で言う所の「日本版ラップ」の事である。増して先述の「討つ者も~」の三浦義同の辞世の句に季語等は入って居ない。575若しくは77に成って居れば良いのだ。俳句短歌の原点とはそんな物だったのである。お参りを済ませ東海道に戻る、今度は藤沢。
 早速見えて来たのが遊行寺。正式には藤沢山無量光院清浄光寺(とうたくさんむりょうこういんしょうじょうこうじ)、伊予国愛媛県出身の一遍智真の「踊り念仏」で知られる時宗総本山。四代目呑海(どんかい)に因って1325年に建立。湘南の海と江ノ島が見える。
 「源義経の首洗い井戸」が見えて来た。此の近くに白旗神社と云う神社が有る。そも此処には寒川比古命(さむかわひこのみこと)が祭られて居たが義経が死んでからその首級が此の地に葬られたと云った伝説に因り合祀される様に成ったとの事。
 少し海岸沿いの茅ヶ崎を通って居ると南湖左富士が見えて来る。京都へ向かえば富士は普通右手に見える筈であるが此の辺りは珍しく左側に富士山に似た綺麗な形の小さい山が有る。
 少しだけ北側の内陸部へ向かえば矢鱈と目立つ巨大な銀杏の木が見えて来る。鶴嶺神社である。1051年の前九年の役の戦勝祈願に源義家が自らの手で植えたとされる。神社裏の竜前院には源頼朝の所に仕えて居た大庭景義の墓が有ったりする。此処にもお参りをする三厳。
 相模川を渡り平塚へ。西を望めば京都、そして島原は未だ遠い。

ファンタスティックヒストリー 超島原幻闘録 ~柳生十兵衛地獄変~ 第3章 - 4

 戸塚に到着する三厳。早速見えて来たのが「首洗井戸」なる不気味な名前の井戸。室町時代に思いを馳せる。実は室町時代、こんな話が本当に有った。その連綿と続く皇統の最大の汚点の一つで屈辱的存在とも言える「後醍醐帝」。皇族に政権を取り戻さんとその一生をかけた強力な手駒とも成り得た息子である大塔宮護良親王(だいとうのみやもりながしんのう)を、忠将新田義貞を、楠木正成を、足利尊氏如きに唆され利用するだけ利用して裏切り、犬死させ「失政」の語り草とされる2年で終わった「建武の新政」。何の為の神武統一大和朝廷成立と古事記編纂か、皇族で在りながら後深草(ごふかくさ)の持明院と亀山(かめやま)の大覚寺(だいかくじ)の連中が骨肉の争いで外聞も無く公然と醜態を晒す混迷期でも在り、やる事成す事一事が万事ことごとく裏目に出てしまった帝…「後醍醐帝」。鎌倉幕府は1333年に消滅するがそんな頃、後醍醐帝とその子護良親王が国賊尊氏を相手取って挙兵に及ぶが返り討ちに遭い1334年、後醍醐帝自らの手で護良親王を国賊尊氏に引き渡す。尊氏の弟直義(ただよし)がその身柄を鎌倉二階堂東光寺に移し預かる。それから北条時行が鎌倉攻めを行い直義は防ぎきれず時行に護良親王を担ぎ上げられてはと淵野辺伊賀守義博(ふちのべいがのかみよしひろ)に命じて護良親王を仕留めさせる。その日…、護良親王は牢の中で読経をしていた。塀の中生活も久しく体が鈍り殺りに来た淵野辺伊賀守義博に抗うもあっさりと組み伏せられる。義博は刀を抜いて親王の頸を刎ねんとするも親王はその切っ先を喰い切る。義博は脇差で親王に斬り付け怯んだ所を親王の髪の毛を掴んで頸を刎ねる。刀の切っ先を含んだまま親王は絶命。しかしその目は未だ生きて居る様で在ったとの事。続きが有る。どう云う訳か義博はその頸を直義の所迄持って行かず途中の藪の中に捨て、親王の世話をして居た南の方がそれを見付けて葬儀をしたと言われる。「太平記」にしか此の記述は無く親王は生きて居り逃がされたとも言われる。その話にまつわる物であろうか。
 「国賊下郎か…。」思わず呟く。足利尊氏、直義兄弟は、配下の高師泰(こうのもろやす)、高師直(こうのもろなお)、高重茂(こうのしげもち)兄弟とつるみ執権北条鎌倉幕府を口実にやりたい放題に暴れ回り勝手に南北朝足利室町幕府と云う黒歴史を開いた国賊輩(こくぞくばら)である。どうも従来の足利尊氏像とされて来た馬上の肖像画は高師直らしい。後の大人気と成る忠臣蔵であるが徳川幕府から上演禁止令が出てからは吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしなか)が高師直に「悪役」として変更されて居たりする。
 島原のキリシタン寄せ集め農民一揆等、土芥寇讎(どかいこうしゅう 所謂ザコ共の事)を思い込んで居たのは板倉重昌、松平信綱、そして正直、三厳もそう考えて居た。想定外の事態に気付く者はこの時点では未だ誰も…。
プロフィール

結城たかみ

Author:結城たかみ
FC2ブログへようこそお越し下さいましてどうも有難う御座います。ブログは初めてで知らない事が多いです。此処では有名な「サムライスピリッツ」と云うゲームの二次小説を書いて居ります。ごゆっくりなさって行って下さいませ。<(_ _)>

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